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横浜地方裁判所 昭和49年(ワ)1651号 判決 1983年9月30日

原告

徳岡麻実子

原告兼右法定代理人親権者父

徳岡忠夫

原告兼右法定代理人親権者母

徳岡和子

右原告ら訴訟代理人

内田剛弘

霜島晴子

被告

小川知和

右被告訴訟代理人

藤井暹

西川紀男

池田和司

橋本正勝

水沼宏

主文

一  被告は、原告徳岡麻実子に対し、金三五一〇万二六円及び内金三一九〇万九一一五円に対する昭和四五年八月二八日から、内金三一九万九一一円に対する同五八年一〇月一日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告徳岡忠夫、同徳岡和子に対し、各金二七五万円及び内金二五〇万円に対する昭和四五年八月二八日から、内金二五万円に対する同五八年一〇月一日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は被告の負担とする。

五  この判決は、第一項及び第二項に限り、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一請求原因1(一)及び(二)の事実は当事者間に争いがない。

二請求原因2について

1  原告和子の入院から分娩室入室までの経過

(一)  原告和子が、昭和四五年八月二八日午前〇時過ぎ頃、出産のため、それまで診察を受けていた被告医院に入院したこと及び入院時の診察の結果、胎位は第二頭位であり、児頭は骨盤の入口に殆んど固定し、子宮口は1.5指半開大(約二ないし三センチメートル子宮口が開いている状態)であつた事実は当事者間に争いがない。

(二)  <証拠>を総合すると以下の事実が認められる。

原告和子は、前日(八月二七日)午後八時頃から陣痛を感じ始めた。そこで、被告医院に電話で連絡したところ、被告から二〇分間隔ぐらいに陣痛がくるようであれば、再度電話をしてくるように指示されたため、同日午後一二時少し前に再度被告に連絡し、同医院を訪れ、被告の診察を受けた後、そのまま入院となつた。

入院後は、被告医院内の予備室に入り、経過を観察することとなつたが、原告和子の陣痛は徐々に弱まり、八月二八日午前五時頃、被告が原告和子の様子を見るために予備室を訪れたころには、陣痛はほとんど感じない程度になつていた。

その後、被告は、同医院で外来患者の診察の始まる午前九時頃、原告和子を診察した。その結果、子宮口は、一指半開大であつた入院時から九時間近くも経過して、全開大とはいえないにしてもそれに近い程相当に開いた状態になつており、児頭が骨盤の中に入つてきて固定していたにもかかわらず、原告和子の陣痛は微弱なままであり、このまま分娩を長引かせることは、児頭にうつ血が生ずるなど後に障害を残すおそれがあり、いずれにしても、胎児、母体のいずれに対しても好ましくない影響を与えると被告には判断された。そこで、被告は原告和子に対し、右診察直後である午前九時頃から九時三〇分頃までの間に、陣痛を促進し、分娩を早める目的で、アトニンoを二回、ブスコパンを一回、被告自らあるいは看護婦に指示して注射したほか、浣腸を行なつた。

被告の右処置によつても、原告和子の陣痛は依然として微弱なままであつたが、被告からは、その後何らの処置、指示もないまま、原告和子は、午後〇時近くまで予備室で待機していた。

午後〇時近くになつて、原告和子は、当時同人と同様に出産のため被告医院に入院していた池田則子が、陣痛を誘発するため、階段の昇り降りをしていたのを見て、自発的に自らも右方法を試みていたところ、被告が原告和子に対し、「そろそろお産にしましよう。」と声をかけ分娩室への入室を促した。原告和子は、まだ陣痛がきていない旨答えたが、被告に再度促されたので、その指示に従い分娩室に入つた。

(三)  ところで被告は本人尋問(第二回)において、午前九時頃アトニンoの注射等の処置をとつた後、原告和子の陣痛、出血等の状態を診察し、とりわけ胎児の心音については一五分間隔で看護婦に計測させた旨供述する。

しかし被告の右供述は、アトニンoを注射した後であれば医師としては当然に右程度の処置をなすべきであるとの一般論を述べたものではないかとの疑いがあり、被告の本件に対する記憶によるものではないとの疑いがある。そして、殊に心音の測定について原告和子は、最初に予備室に入れられた時から出産が終るまで一回もなされなかつた旨本人尋問(第一、三回)において供述しているのであつて、同人が経産婦であり、心音測定についての経験を有し、その重要性も認識していると認められることから、同人の供述には信憑性がある。従つて、心音を一五分おきに測定した旨の被告の前記供述は措信し難く、被告は胎児である麻実子の心音の測定をしなかつたものと認められる。

2  分娩室入室後、原告麻実子出産に至るまでの経過

(一)  原告和子が昭和四五年八月二八日午後一時二三分原告麻実子を出産したこと、原告麻実子の出産時の体重が二八五〇グラム、身長が四九センチメートル、胸囲が三五センチメートル、頭囲が三四センチメートルであつた事実は当事者間に争いがない。

(二)  ところで、原告らは右出産は鉗子及び吸引器を使用した異常出産であつた旨主張し、被告はこれを争うのでこの点につき検討する。

(1) <証拠>によれば次の事実が認められる。

原告麻実子の頭蓋骨には中央やや右側の部分に一センチメートル余りのふくらみがあり、右ふくらみは頭血腫によるものである蓋然性が高い。

次に頭血腫は分娩開始前に形成されることはなく、また先天的な原因でこれができる可能性はまず考えられず、分娩開始後から二歳になるころまでの間に形成されることが多いのであるが、出産時を除けば、よほどの衝激に会わなければ現在原告麻実子に残つているほどの骨のふくらみが残ることはない。

また新生児期に形成された頭血腫については、新生児七二五〇名の調査結果によれば、その六〇パーセントが鉗子の使用を原因とするものであるとの報告がなされている。

ところで本件において原告麻実子が二歳に至るまでの間、頭血腫を形成するに足りるほどの事故に会つた事実を認めることのできる証拠はない。

もつとも<証拠>によれば、昭和四七年六月初め頃原告和子は同麻実子を膝に抱いて自動車の助手席に坐つていて、自動車事故にあつたことが認められるが、原告和子は病院で簡単な治療は受けたものの、同麻実子は一切医者の診察は受けていないのであるから、右事故をもつて同麻実子の骨のふくらみとの間に因果関係を認めることはできない。

(2) <証拠>によれば、原告麻実子の額の中央部に生まれながらにして縦に筋がはいつた様な軽いへこみがあることが認められる。

ところで<証拠>によれば、通常鉗子は児頭の側面にかけることから、額の中央部にしかも長期に渡つてへこみを残すことはないが、高位の児頭に鉗子をかけると鉗子匙の尖端で圧痕を生じ、長期に残存するへこみを残す可能性があることが認められる。

(3) 更に<証拠>によれば、原告和子は、被告から産道に手を入れられ激痛を覚えたこと及び分娩室内の原告和子の寝ている右足下付近で、「ブルルル」という機器の音を聞き、その機器を産道に入れ使われている感じを覚えたことが認められる。

そして、<証拠>によれば、妊婦は鉗子を使用された場合その痛みのため、これを認識できることが認められ、また証人野崎ヒサ子の証言によれば、同人が被告医院で出産した際吸引器を使用した分娩であつたが、原告和子の供述と同様に同人が寝ていた右足下でモーターが回転するような音を聞いたことが認められるから、右事実に照らすと原告和子の覚えた激痛は鉗子の使用によるものであり、「ブルルル」という機器音は吸引器のモーター音であることが推認される。

(4) 以上の(1)ないし(3)及び後記3(二)の諸事実を合わせ考えると、原告和子の分娩には鉗子及び吸引器が使用されたことが認められ、<証拠>に鉗子及び吸引器の使用の事実が記載されていないことをもつてしてはいまだ右認定を覆すに足りない。

3  原告麻実子出産後の経過

(一)  <証拠>によると、同人が同麻実子を分娩した直後からしばらくの間、分娩室内が静まりかえり、その後麻実子のしわがれ声のような産声を聞いたことが認められる。

次に<証拠>によれば、新生児が仮死児として誕生する原因の一つとして、分娩遷延、児頭圧迫などの異常分娩が考えられ、とりわけ分娩に鉗子が使用された場合には、そもそも鉗子の使用目的が、胎児が母体内で危険な状態になり仮死児として生まれるのを防ぐためのものであることから、新生児が仮死児となる蓋然性が高いことが認められるところ、本件で、鉗子、吸引器が使われたことは先に認定したとおりである。

右の事実によれば、原告麻実子は、娩出後一時仮死状態であつたことが認められる。

(二)  <証拠>によると、原告和子は出産から三日も経過した後初めて原告麻実子と対面し、同人の頭部がゆがみ、左上方に細長くのびており、額に赤い筋のようなものがあるのをみて驚いたことが認められる(原告和子の退院日時は当事者間に争いがない。)。

4  原告麻実子の現在の症状

<証拠>によると、原告麻実子は、生後二一か月を経ても歩行のできない状態であつたため、原告忠夫、同和子はこれを心配し、昭和四七年六月頃、横浜南共済病院で診察を受けたところ、機能的・精神的要因から歩行できないと診断され、更に同四八年八月二八日三越診療所の小林提樹医師から精神薄弱であると診断され、現在に至つているが、現在でも食事、排便等の身辺自立は困難であり、将来にわたつても回復する見込みは薄く、正常児なみの知能を取得することは不可能であることが認められる。

三請求原因3について

1  胎児に対する観察を怠つた過失について

(一)  既に認定したところによれば、被告は、昭和四五年八月二八日午前九時頃の時点で原告和子を診察した結果、陣痛のない状態でこのまま分娩を長期化させることは、胎児、母体のいずれに対しても好ましくない影響を与えると判断した。そして、被告は午前九時から午前九時三〇分の間に原告和子に対しアトニンoとブスコパンの投与をして分娩を早める処置をとつたが、その後午後一二時近くなつて原告和子を分娩室に入室させるまで、同人に対しそれ以外何らの診察、処置をなさなかつたのである。

(二)  ところで、<証拠>によれば、分娩第二期において陣痛が微弱な場合について、その診断は、陣痛の状態、例えば子宮収縮の強さ及び発作と間歇との時間的関係などについて精査すると共に、分娩の進展状態をよく観察することによつて可能かつ容易であり、右状態を診断したなら先ずその原因を究め、これを適切に治療し、母体と胎児の予後を良好ならしめることが必要であることが認められる。そして、特に胎児の状態については、これが心音に最もよく反映されるものであることから、児心音については格別の注意を払うことが要求され、更に分娩第二期の期間は正常分娩においては経産婦で三〇分であり、この期間が二時間を超えれば鉗子使用の条件とさえされていることが認められる。そこで心音不整や母体に対する障害が現われた時はもちろん鉗子使用の適応であるが、このような症状が起つてから鉗子を使用するのでは、既に時期を失しているのであつて、その一歩手前で右のような症状を起すことを予防することが肝要であることが認められる。

(三) 右事実によれば、午前九時頃の時点で、原告和子が分娩第二期に近い状態にあつて、胎児の児頭が骨盤内に固定していたにもかかわらず、被告はその後児心音測定もなさないまま三時間近くも原告和子を放置したのであり、この被告の不作為は、医師として当然になすべき注意義務を怠つたものと認めざるを得ない。

2  因果関係

そこで次に被告の右注意義務違反と原告麻実子の現在の症状(精神薄弱)との因果関係につき検討する。

(一)  <証拠>によれば次の事実を認めることができる。

本来分娩第二期は娩出期ともいわれるように胎児を娩出させるため子宮は強い収縮運動を営む必要があり、強い腹圧を必要とする。ところがこの娩出力の基本となる子宮の収縮運動(陣痛)が弱い場合には、多くの場合腹圧も弱いため胎児の娩出が困難となり、分娩経過が遷延する。その結果胎児が受ける障害としては、胎児の先進部(主として頭部)が長時間軟産道に留まることになるため、軟産道の圧力により胎児の児頭、臍帯または胎盤などが長い間圧迫を受けることになり、胎盤血行障害あるいは胎児血行などを起して胎児については仮死状態が生ずることが多い。

(二)  次に<証拠>によれば、次の事実が認められる。

胎児あるいは新生児の脳は、酸素欠乏に対して、成熟した脳よりも抵抗力が強いものの、脳の酸素代謝率からして、諸臓器のうちでは脳が最も酸素欠乏の影響を受けやすいことには変わりがなく、ある限度をこえた酸素欠乏により、不可逆的病変が発生し、後遺症として精神薄弱をきたす可能性がある。特に本件の如く娩出に鉗子あるいは吸引器を使用せざるを得ないような分娩の場合においては、右使用を余儀なくされる事態がすなわち胎児にとつて危険な事態、具体的には胎児の脳に対する酸素供給が不十分な状態を示すものであり、右のような娩出過程を経た場合、脳細胞の全体の機能が低下し、新生児が精神薄弱となる蓋然性が高い。

(三)  右事実からすると、原告麻実子の精神薄弱について、他に別段の主張、立証のない本件においては、同人の現症状は、児頭が骨盤の中に入つてきて固定した状態から、四時間余りも放置されたことによる脳細胞の機能低下を原因とするものと認められる。

(四) ところで被告が前記1(一)ないし(三)で説示した注意義務を順守し、胎児の状態(特にその心音)について細心の注意を払つていたならば、胎児の心音の異変に気づき、胎児を早期に母体外へ娩出し仮死児として出産せしめることを防ぐことが十分に可能であつたと認められるから、結局、被告の右注意義務違反と原告麻実子の脳細胞の機能低下との間には因果関係が認められる。

してみると、被告の前記過失と原告麻実子の現症状(精神薄弱)との間には事実上の因果関係が認められるから、他に被告に対する帰責事由とはなし難いような特段の事情の介在が認められない本件においては、右両者間に法律上の相当因果関係もあると認めることができる。

(五)  なお被告は、原告麻実子に脳性麻痺の症状がないから因果関係が認められない旨主張する。しかし<証拠>によれば、原告麻実子には麻痺の症状はないが、運動障害があることが認められるところ、前記証人児玉、同塩島の証言によれば、難産を原因とする精神薄弱の場合、必ずしも麻痺を伴なうわけではなく、酸欠状態がそれほど強度でない場合には、単に運動機能の低下に止まる場合もあることが認められるのであるから、右事実を考え合わせれば、原告麻実子に脳性麻痺の症状がないことをもつて前記因果関係を否定するに足りない。

四請求原因4について

1  原告麻実子の損害

(一)  逸失利益

前記認定によれば、原告麻実子は、労働能力を一〇〇パーセント喪失し、終生これを回復することが不可能である。

そこで、原告麻実子の就労可能年数を満一八歳から満六七歳までの四七年間とし、昭和五六年度賃金センサスの産業計、企業規模計、学歴計、年齢計の女子労働者の年間平均給与額を基準として、ライプニッツ係数を用いる方式により、同人の得べかりし利益の現価を計算すると次のとおり<省略>となる。

従つて原告麻実子の得べかりし利益の合計は一四七六万三八〇二円となる。

(二)  生涯の介護料

前記認定のとおり、原告麻実子は現在に至るも身辺自立ができず、右状態は一生続くので、その生涯にわたり第三者の介護を必要とすることが認められる。

ところで昭和五六年の簡易生命表によれば原告麻実子は七九歳まで生存可能と推定され、一日の介護料を金一〇〇〇円として、ライプニッツ係数を用いることによりその現価を求めると次のとおり<省略>となる。

従つて原告麻実子の介護料の現価は金七一四万五三一三円となる。

(三)  慰藉料

原告麻実子の前記症状、回復の困難さ、とりわけ、同人が出産時から精神薄弱となり、一生涯、通常の人間なら享受できたはずの人間としての幸福を味わえなくなつたこと、被告の過失の態様等諸般の事情を総合すると、原告麻実子の受けた精神的苦痛に対する慰藉料は金一〇〇〇万円をもつて相当とする。

(四)  弁護士費用

本件の事案の性質、難易度、審理の経過からして、原告麻実子に対する弁護士費用は損害認容額の一〇パーセントをもつて相当とすると認められるところ、前記(一)ないし(三)の損害合計額は金三一九〇万九一一五円となるので右弁護士費用は三一九万九一一円となる。

なお右弁護士費用の支払時が第一審判決の言渡日であることは原告らが主張するところであるから、右金員に対する遅延損害金の発生日は本判決言渡日の翌日である昭和五八年一〇月一日となる。

2  原告忠夫、同和子の損害

(一)  慰藉料

原告忠夫、同和子が同麻実子の両親であることは当事者間に争いがないところ、前記認定のとおり原告麻実子はその生涯を精神薄弱者として送らなければならず、これにより両親の受けた精神的苦痛は子の死にも比すべきものであることは論を待たない。従つて右両名に対する慰藉料は各金二五〇万円をもつて相当とする。

(二)  弁護士費用

原告忠夫と同和子の弁護士費用については、前記原告麻実子の弁護士費用について認定したとおり、損害認容額の一〇パーセントをもつて相当とすると認められるので、右原告両名の弁護士費用は各金二五万円となり、その支払期は本判決言渡日の翌日である昭和五八年一〇月一日となる。<以下、省略>

(菅野孝久 高山浩平 野々上友之)

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